瀬戸内海に今も浮かぶ、ただ一隻の機帆船があります。船の名前は〈第三戸島丸〉。みかん船として玉島で生まれました。船の姿のままで今も生きていることが分かったのは、平成30年(2018年)秋のことです。
当時、同じ瀬戸内海のとある港で戸島丸を活かしたプロジェクトが進んでいましたが、1年経った令和元年(2019年)秋には、残念な知らせが届きました。廃船の知らせです。理由は船の寿命と費用のことでした。
何とかならないかと考え、海と船を愛する地域の有志と、船が船のまま生きられる道を相談してきました。日本の海運を支えた瀬戸内海の宝であるこの船を〝どうしても廃船にしてはならない〟という思いを一つにした私たちは、まず生まれ故郷玉島への帰港を考えました。
61年間という長きにわたり、今日も船として生き抜いている〈機帆船 第三戸島丸〉をふるさとの海、玉島の港に、敬意をもって迎えたいという思いを強くしています。
わがまち玉島からはじまる『せとうち遺産』として、この物語の新しいページを皆様とともに創り出していきたいと思っています。
何卒この思いにご理解をいただき、ご賛同くださいますようお願い申し上げます。
〇この物語で伝えたいこと〇
『過去は、意外な未来となって戻りうる』
ふるさと玉島の港は今、《昔、栄えていた港》となっています。〈機帆船 第三戸島丸〉は、帆柱の立ち並ぶ元気な頃の玉島港を知る「時代の証人」です。
かつての栄光の時代は元に戻りませんが、時を重ね、海に浮かんでいる戸島丸が、大切な私たちの港の「新しい価値」を生み出し、『これからの未来へ戻す』役割を担ってくれることと信じています。
『まだ、遺せなかったわけじゃない』
〝縁でつながれ浮かんでいるしあわせな船〟それが〈機帆船 第三戸島丸〉です。このご縁を大切に、皆様の心と力をつないで守り遺していきたいと思っています。
ご賛同いただける皆さまこそが、この船の「乗組員」なのです!
『瀬戸内海沿岸は縁側』///////// 風光明媚な瀬戸内海の津々浦々は、まるで、暖かな光や風を楽しめる縁側のような場所です。
玉島港もそのひとつであり、その縁側から眺める風景のなかに〈機帆船 第三戸島丸〉が浮かんでいることが私たちの喜びです。船と港をつなぐ玉島に人が集い、世代を越えて時間をともに過ごすことで、笑顔があふれ、船が、港が、まちが歓び、私たちの心が癒される玉島の港を、そんな場所にしたいと考えています。